五社館
別名 五社砦 | 付近住所 神戸市北区有野町 | 現在 五社八幡神社 |
2005/7/21 | 案内板アリ |
小野三郎義晴 | 由緒 本社は、多田源氏が摂津一円を領したころすでに祭祀された史実はあるが創建年月は不詳である。 元弘3年播磨国領主赤松円心則村が兵をあげて官軍に属し、進んで摂津国摩耶山に本拠を構えた時、この地に山城を築き北摂丹波路より諸豪族の後襲に備え、これにより官軍の戦勝を祈願するため荒廃した本社を復興し社殿を勧請した。(鬼瓦に菊の紋あり)天正年代、三木城主別所長治はその臣小野三郎義晴をこの地に滞らしめ三木城の東の出堡として切畑城を築く小野三郎は五社八幡神社境内に居館を設けて南進する敵の防衛にあたった。天正6年(1578)羽柴秀吉中国征伐の途その臣中川清秀・荒木村重等が大軍をひきいてこの城を攻め居館社屋宝物はことごとく兵火にかかって烏有に帰し尾の一族は破れて討死した。この時小野三郎は本社の空しく灰燼に付することを痛惜し士卒に命じて社殿御神体を背後の渓間に埋めさせたため焼失を免れた。後、村民相謀って社屋を再建して雨露にさらされた社殿御神体を奉置したが年月は詳らかでない。 昭和59年5月放火により社殿と稲荷神社が全焼、氏子崇敬者によって昭和60年12月再建し落慶奉祀際を行う。
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